古武道探訪 第十二回  2023年3月

大阪狭山市編

前回(第八回)に引き続き、大坂の地で教授されていた天羽流について記載します。

 

天羽流を創始したのは天羽勘解由定幸さん。紀州藩の浪人です。

田宮流、片山流、関口流を修め、諸国を廻って修行をしたのち、大坂で「抜合師範」として「門弟五百人余」に指導したことが分かりました。*1

 

天羽勘解由さんの来歴も浪人となった理由も少し分かってきました。

徳川吉宗が将軍職に就く際に、随従を希望していたのに果たせず、怏々とした末に致仕して浪士となって大坂「玉造組与力」の柔術の師となったという略伝がありました。*2

随従を許可されなかったのは、随従希望者の多さに困った吉宗が、江戸から使いを出すからそのときに日直に当たっていた者のみ随従を許可するという条件を出したからで、我が天羽勘解由さんは運が悪く日直に当たっていなかっただけで無能だったからではありません。

 (ひょっとすると、日直に当たっている人のリストを作成させて、上使到着の日をコントロールしたのかもしれませんが、それでも連れていく人と残しておきたかった人を考えていて、残された人が無能だったのではないと思いますが)

それに記事には、「剣術槍術其他柔術二達ス。其名夙ニ揚ルヲ以テ隣国ノ士多ク之ガ門下タランコトヲ冀フ。尼ガ崎藩士殊ニ篤シ。是ニ由テ先生坂尼両地ニ交互教授ス」とありますから、請われて尼崎藩でも指導をしていたことも分かりました。

天羽さんの実力は確かだったのでしょう。

 

徳川吉宗が将軍として在籍したのが1716年から1745年です。

天羽流が伝わった小浜藩の第5代藩主酒井忠音が大坂城代であったのが1723年から1728年。 この酒井忠音さんについて大坂に出てきた伊藤右近兵衛猛盛という人が天羽勘解由さんに師事して皆伝を受け、小浜藩に天羽流を根付かせた。

時期的にもあっていますね。

たった五年で皆伝を受けたのは早いようにも思いますが、この伊藤さんは国元で「那須流」の免許を得ていたので、相応の実力の持ち主だったのでしょう。

「那須流」というのがどういうものかは調べきれませんでした。

 

『天羽流大意』1822年

 

 ここで「玉造組」について調べました。ここからの調査は『武士の町 大坂』によります。

大坂城を守衛する武士団がいて、追手口、京橋口、玉造口の三つの門を守っていました。

そのうちの玉造口を守護していたのが「玉造組」。

京橋組、玉造組、東西大番(玉造と追手の間の二の丸区域にいた武士団)をあわせて千四百六十人くらいの武士がいたようです。森鴎外(!)が試算した数字だとか。*3

 

大坂には「町人の町」としての顔がありますが、武士も多く生活をしていたのが分かります。

天保十一年から弘化五年(1840~48)の間、大坂代官であった竹垣直道という人が日記を残していて、その中の天保十五年十月二十五日の記事に、竹垣宅の稽古場の修繕後の稽古場開きの席で、鉄砲奉行、弓奉行、金奉行、蔵奉行、破損奉行、代官の息子たちが居合・抜打ちの稽古をしている描写があるようです。大坂の武士も武芸を磨いていたのです。

自宅に稽古場があるのも羨ましいですが、稽古の内容が居合というのも嬉しいですね。

天羽流を遣ったのかもしれません。

 

 

以下は天羽流の文書から一部を紹介。 

天羽流抜合太刀次第の表の一本目に記載のある技は「是極」という技です。*5

「初ノ一本ヲ是極ト云訳ハ、末々品々太刀数ハ有レドモ、抜懸様ハ是ヨリ外ニナイト云フテ是極ト名附ル也。抜クベキ調子ハ早クモナクスルスルト抜キカケテ敵ノ打込ミタル後ヲ…」以下判読不能。残念。

でも、抜くべき調子は早くもなくてスルスルと抜きかけるとあるのは読めました。

また、天羽勘解由さんの高弟である中堂謙山先生からの口授を記した「田宮流太刀筋聞書」の一番最初に「出ル刀ト云」という記事がありました。*4

「是ハ、力ナク□□滞ルコトナク緩急ナクスラゝゝスラト自然ニ抜キ出ス味ヲ云。

 但抜キヤウハ柄ト鞘ト引ワケル心ソ」 

やっぱり緩急なく”すらすらすら”と抜き出すことを言っています。

この教えは、無雙神傳英信流も同じです。無雙神傳英信流の二代目に田宮平兵衛さんがいますから当たり前の話でした。

 

『抜合太刀之次第』1839年

  

天羽流を調べる中で、大坂の武士の様子も分かりましたし、当時の居合の稽古の心得も知ることができました。

残念ながら、天羽流は失伝したようですが、歴史を調べることで多くの人が生きていた証のようなものを感じることができました。

それでも「大阪狭山市編」というタイトルは無理がありましたね。

 

 

 <参考文献>

*1 『天羽流大意』1822年3月 黒田弥生家文書 小浜市所蔵

*2 『武芸全書第一編 撃剣』菅原定基 明治40年12月 大坂尚武館

*3 『武士の町 大坂』薮田貫 2020年6月 講談社学術文庫 

*4 『田宮流太刀筋聞書』1819年11月 黒田弥生家文書 小浜市所蔵

*5 『抜合太刀之次第』1839年8月 黒田弥生家文書 小浜市所蔵