古武道探訪 第九回  2022年12月

おおさか市内編 第三弾

前回8月の第二弾からの続きです。

大坂の町奉行は、元和5年(1619)に設置された大阪市中と畿内、西国を統括する遠国奉行の一つで、東西の両奉行の下、それぞれ与力30騎、同心50人が配置され、行政・民事・刑事全般にわたる実務を行っていました。時代が進むにつれて役職の世襲相続化が進み、「武術は支配国への出役御用、討ち物、捕り物などのために備えることであり、加えて裁判・吟味の際の判断に必要な知識を習得し、また寺社家・医者、学者に侮られないための学識・道理を得ておくことが重要である」と、文武両道の修練が一層求められたそうです*1。同心である山本民左衛門が楊心流を学び真之神道流を創始した頃は、こうした時代だったようです。

 さて、この時代の与力・同心は、武術とどのように向き合っていたのでしょうか。筆者が原文を現代風に要約したので心許ないですが、ご覧ください。一つ目は、文武の師範を行っている与力がいないか調査して報告せよという天明八年(1787)の触書です。文武を奨励する中で、実態把握に加えて、各奉行所にプレッシャーを与えて引締めを図ろうという意図や、優秀な者への顕彰の目的もあっての通達でしょうか。二つ目は、文化九年(1812)、大坂城代に対して、武術免許を持つ与力や同心12名を報告した文書の抜粋です。流派名等の内訳は次表のとおりです。

 

…文武の道は、誰もが親しむべきことであるが、中でも一芸に秀で師範等を務める者がいれば報告せよ。

 一、学問を指南、講釈する者。ただし軍学や天文学などもこれに準じる取り扱いとすること。

 一、武芸、弓・馬・剣・鎗・柔術・火術などに秀で、免許目録をもって指南する者。

 以上、学問、武芸ともにその師範の氏名に流儀名、年齢を添えて書面で報告せよ。

このことは、各奉行所の隅々まで周知徹底するように。…*2

 

…大坂城代 大久保加賀守忠真さま

東西の町奉行所の与力・同心の中で、昨年12月以来、武術免許・中通目録を取得した者について東町奉行 平賀信濃守貞愛、西町奉行 斎藤伯耆守利道より報告しますので、よろしくお取り計らいください。

文化91223

…省略…

一、鎗術 目録 佐分利流 同上(平賀信濃守組与力)八田衛門太郎 十九歳(八田五郎左衛門の忰で、現在見習い勤務 父の五郎左衛門が相伝しており、現在、玉造口定番である本庄式部少輔道昌の組与力である柴田勘兵衛の執立てによる) …省略…

一、柔道鎧組付 目録 起倒流 同上(平賀信濃守組与力)服部弥太郎 二十六歳(服部平右衛門の忰で、現在見習い勤務 信濃守組与力である八田五郎左衛門の門弟) …省略…*3

信濃守組与力の八田五郎左衛門が佐分利流という鎗術を相伝しており、また、彼の門弟が起倒流という柔術の目録を取得したということからも分かるように、様々な種類の武術を併修して稽古していました。一つ目の触書から20年以上後のものですので、おそらく毎年のように定期的に報告されていたのだと思います。山本民左衛門の没後10余年、折角ですので真之神道流を稽古している形跡があればとも思いましたが、この文書では見当たらずでした。

 

ところで話が変わりますが、幕藩行政機構の確立と大阪市中の復興・経済の発展と相まって、大坂の市政要覧のような地誌が市中に出回り始めます。中でも元文 4(1739)から刊行された裏表 1 枚物の『浪華御役録』は、大政奉還直後の慶応4(1868)までほぼ 130 年にわたって定期刊行されていました。表面は上段から大坂城代、奉行役職者の一覧、与力や同心の役付情報等、裏面には与力や同心の屋敷図が掲載されています。上記文書と同じ文化九年(1812)頃に発行された浪華御役録を次にご紹介します*4

 

 

(表面)

 (裏面)

 一枚目(表面)の最上段右側に「大坂城代 大久保加賀守忠真」、二段目の右側に「東町奉行 平賀信濃守貞愛」、やや中央寄りに「西町奉行 斎藤伯耆守利道」の名が見えます。役職は上から下へ、右から左へと序列が下がっていきます。役職名を眺めていると当時の役所の考え方が見えるようで興味深いです。二枚目(裏面)には「南同心町」「西与力町」とあるように、与力・同心の屋敷街の案内図です。

浪華御役録は大坂の本屋が編集発行していました。奉行所の最新の人事情報は、奉行所へ訪れる者にとって重要な情報で、訴訟や陳情等で大坂に出張してきた村役人達が宿泊する宿屋が大量に買い取っては、常連の宿泊客に配布していたそうです*5。全くの余談ながら、筆者の若いころ東京霞が関に近い本屋では、中央官庁の所在地や役職氏名、電話番号や座席表などを掲載したハンドブックが販売されていた記憶があります。しかし、この時代に、役人がどこに住んでいるのかまで一般公開されていたことはある意味驚きでした。本当は、数ある浪華御役録を利用して山本民左衛門がいつ頃のどの所属の同心で、どこに住んでいたのか探してみようと思っていたのですが、それは又の機会にします。

 

さて、上記の表、柔道鎧組付として起倒流(きとう りゅう)が挙がっています。起倒流柔術と云えば、天神真楊流柔術と同様に嘉納治五郎が入門し、後の柔道の基盤となった柔術流派の一つとして有名です。古武道の歴史探訪 おおさか市内編、第四弾では、起倒流柔術とのご縁について、少しご紹介したいと思います。(つづく)

 

 

*1 『大坂町奉行所における与力・同心体制の確立』渡邊忠司 佛教大学文学部論集第九十号2006 p.34-36

*2 『新修 大阪市史 史料編第七巻』大阪市史編纂所・大阪市史料調査会編 平成24p.458 佐古慶三教授収集文書「町触集」大阪商業大学商業史博物館

*3 『新修 大阪市史 史料編第七巻』大阪市史編纂所・大阪市史料調査会編 平成24p.459-460 日本経済史資料「大久保加賀守公文書控」大阪市立大学学術情報総合センター

*4『浪華御役録』大坂 神崎屋清二郎 1812(文化9)頃刊 大坂城代以下諸役一覧 大阪市立図書館デジタルアーカイブ(申請不要・二次利用可CC0 1.0 全世界 パブリック・ドメイン提供OK

 

*5 『大坂本屋・正本屋利兵衛の「武鑑」「在方本」の出版活動』福澤哲三 HERMES-IR(一橋大学機関リポジトリ)p.73