いつも利用している武道館が改修工事のため2週間ほど使えません。
慌てて吹田市の他の体育館を予約。ちょっと贅沢ですが、2週連続で柔道場を借り切っての稽古です。
5月の京都での演武会では、大小詰、大小立詰と柔術を演武します。なので柔道場はちょうどいいのですが、ごろごろ転がるのは意外と体力を使います。したがって、稽古が終わって帰宅し、昼食をとると眠くなってしまうという弊害が。
京都演武に加えて昇段審査もあるので、居合の時間がどうしても長くなってしまいます。
もちろん剣術も柔術もそうなのですが、居合はとても繊細さを求められます。
意識して動作をするのですが、なかなかうまく心と体を制御することができません。
読んだ本のなかに、脳神経科学では、行為を行うための運動プログラムが作られたあとで、その行為を行おうとする意志が意識の中に立ち現れてくることが分かっているそうです。
つまり意識は行為を行おうとした結果しか受け取れず、すでに体は動くための準備を終えていることになります。それではいくら強い意志をもって、体をコントロールしようと頑張ってもダメですね。
話は逸れてしまいますが、意志する前に運動プログラムが作られているというのは驚きですね。まあ、熱い鉄鍋に触れると意志する前に手を放したりして、意志が運動に追い付かないことは知っていますから、考えてみれば当たり前のことかもしれませんけど。
要するに何を言いたいかというと、心と体の関係というのは心が主で体が従ではないということです。むしろ体が動いたことを後から追跡して意識し、その動作の反省をした上で、次の動作のプログラムを作成する前に、心から体に必要な微調整のための情報をフィードバックするというプロセスで、技を進化させなければいけないということになります。
なので意識すべきは、微調整のための情報=感覚ですね。鋭敏な感覚だけが次の進化につながる。
でも勿論、鞘に手を掛けるとか、柄に手を掛けるとか、意志しないと動作は始まりません。その時に肩にチカラが入ったという感覚があれば、チカラを抜くという微調整情報を体にフィードバックすることになるのですが、フィードバックするのに脳内処理スピードが追い付かないので、追い付けるスピードでゆっくりと動かないと、肩からチカラは抜けません。動きの途中で情報をフィードバックする時間的余裕がほしいのですね。運動プログラムを書き換える時間を与えないといけない。
とくに私の2世代以上前のスペックである脳内CPUとポンコツ身体機能では、なかなか処理スペードとそのフィードバックを活かせないので、とにかくゆっくり動かないと仕方ないのです。
学生時代に制御工学を専攻していたので理系チックに説明をしてしまいましたが、簡単に言うとゆっくり丁寧に稽古しましょうといういつもの結論になったのでした。