初心忘るべからず

武道館が剣道を稽古する人たちで密になっています。

学校の体育館が閉鎖されたお蔭で、市内外の人たちが武道館に集まっています。

今日はとうとう、普段稽古していたテコンドーの人たちがあきらめて、柔道場のほうへまわりました。我々は畳の上で稽古できないので場所変更はできませんが、時間を変更して剣道稽古の少ない時間帯に稽古するようにしたいと思います。

 

さてさて、稽古です。

歩法、斬撃、初発刀の稽古をする人。奥居合まで一人稽古をする人。

武術の稽古は、とうぜんレベル差がありますので、これが当たり前の状態なのでしょう。

昔むかしは(といっても十年も前ではないのですが)、大森流と陽之表の稽古を皆で繰り返し稽古していた時期もありました。なんだか懐かしい思いに浸ってしまいました。

 

といっても稽古する内容は変わりません。

「初心忘るべからず」。これは「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな」という意味なのだそうです。

常に自己の在り方を問い、自己を裁ち切っていかねばなりません。

たまに過去の稽古日誌を読み返しますが、これは私の成長記録のようなもの。

少しずつ自分の殻を裁ち切って、自分を変えてきた歴史でもあります。

心をどれだけ変えることができるか。

師匠の言葉とその奥にある意味をいかに体得するか。

分からないものをどのように体得していくのか。

自分の思い込みを変えることが稽古です。斬ろう、相手を崩そう、投げよう。そういう思いを裁ち切って、稽古しなければならない。斬らずに斬っている、崩さずに崩れている、投げずに投げている。結果としてそうなっている。

自己否定で禅問答的。自分との対話なんですけど、ややこしい話ですねえ。

 

「折あるごと」も大切です。

遠方に住む我々にとって、師匠の指導はまさに「折あるごと」ですし、奉納演武での特別な稽古も「折あるごと」になります。

能の世界では、弟子を「初心」の世界に入れるための仕組みがあるそうです。

師は弟子の実力ではできそうもない演目を敢えてやらせる。そのためにまさに七転八倒するような稽古をするそうです。今の自分の実力ではできない。だから新たに自分を作り直すための猛烈な稽古がされるとか。お披露目の舞台では、とうぜん不本意な結果になりますが、同時に何かの壁を飛び越えているようです。

ここでも自己否定から入っていますね。

 

よく師匠が言われていますが、これまでの生活で培った自分の癖や過去の経験(私の場合は現代剣道ですが)を否定するところから始めなければならないのです。思い込みをすて、相手をどうこうしてやろうという思いを捨て、自分の内面を素直に感知できるように工夫する。道は遠いですねえ。