自己を見つめる

師匠が貫汪館のHPの道標を毎日更新して下さっています。

遠隔の地で稽古をしている者には非常にありがたい教えです。毎回写真付きで、師匠が写っているものは特によく見るようにしています。

 

今日の稽古でも言いましたが、いつだったか師匠が大石神影流の上段を執られている写真がありました。その時の手の内が非常に参考になりました。

どう表現すれば伝わるのか分かりません。「握る」でもなく「持つ」でもなく。

敢えて言えば「触れている」状態です。

 

前にも書いたと思いますが、「握る」は手の平や指の”面”で柄に接している状態です。

「触れている」というのは複数の”点”で柄に接しているのです。

面というのは、小指の感覚も手の平の感覚も一つであるという意味です。

点というのは、小指で「一」、薬指で「一」、親指で「一」という具合に分割できる状態。

そういう複数の点をセンサーとして、それを敏感に感じ取れるように工夫しています。

 

稽古では、私に出来る最高の状態をお見せするようにしていますし、どういう感覚であるのかお伝えしていますが、感覚などは人それぞれ異なります。それを言葉で聞いても自分のものにはなりません。

まずは外観を真似ることから始まります。

そのためには、自分がいまどんな状態にあるのかを冷静に把握できねばなりません。

そのうえで、外観ではなく、その働きを生むためには内側はどうなっているのかを探らねばなりません。

そのために、ゆっくり丁寧に、かつ厳しく自分を見つめなければならないのです。

 

本当は師匠の動きを見てもらうのが一番の勉強なので、来週には大阪に来ていただこうと考えていました。が、今の大阪は予断を許さない状況で、いつ武道館が閉鎖になるか分からないので、今回は見送りせざるを得ませんでした。

せめて、師匠の写真からでも、勉強する材料を得るようにしてください。