本部での稽古

本日、3月15日土曜は5時に起床し、広島での本部の稽古会に参加しました。

5時起きは普段どおりなのですが、昨夜は職場の親睦会?で、少々お酒を飲みすぎました。起きれるか心配でしたが、数週間前からの気合いで起きることは出来たのですが、お腹がオカシイ。下し気味です。牛肉のしゃぶしゃぶ食い放題の店で飲んだのですが、若い人たちにつられて食べ過ぎました。歳をとって牛肉を体が受け付けなくなってきています。まだ四十代なんですけど。今なら四捨五入でも四十。

 

調子の悪いお腹をなだめつつ、新幹線の中でイメージトレーニングを始めました。ところが一本目の構えをとるまえに、広島でした。車掌の乗車券チェックでも起きなかったのか。イメージトレーニングは出来ませんでしたが、気分はすっきり。お腹も…と思ったのですが、やっぱりこっちは駄目ですね。

 

本部の稽古では、大石神影流の陽之裏の稽古を繰り返しました。姉弟子?という言葉があるのか分かりませんが、打太刀をして頂き、私は仕太刀です。普段は一人稽古ばかりですので、相手が出来ると途端に動きがギクシャクします。

構えや、切り付けなど師匠から細かい指導を受けます。何度も繰り返しますが、思うように動きません。居合よりはよほどシンプルな動きなのですが、むずかしい。

肚から動く、腕は伸ばさない曲げない、一つ一つの小さな動きも疎かにしない。

 

本部の稽古に参加するたびに、自分がまったくの初心者であると痛感します。

いや、痛くはないので、痛感というより実感というべきですね。楽しいのです。

普段の稽古でも、一生懸命自分で考えて動いているのですが、自分の考えレベルではまったくお話にならない。やはり小さな動作をオロソカにしてしまっているのです。毎回毎回、発見?があります。ああ、こんなことも出来ていなかったのか、と思うのです。もちろん気づいてもすぐには出来るようにはならないのですけれど。

出来ないのに楽しいというのはオカシイですかね。

 

ともあれ、しっかり稽古を頂くことが出来ました。

 

居合の抜き付けも見ていただきましたが、これまたお話になりません。

着座から指導を頂きましたが、やはり小さな所作をオロソカにしていました。

遠来の弟子である悲しさで、諸先輩が体験されたような基本稽古が十分でないと思います。北大阪支部では、着座、礼法、歩法、斬撃などの基本稽古をもっとやらねばなりません。

 

今日、稽古をしていて思いましたが、ひょっとすると初心の人には居合の稽古から入ってもらうよりも、大石神影流から入ってもらうほうがよいかもしれません。

取っ掛かり易く、鼠蹊部の緩みも稽古の中で体験でき、何より二人で稽古をするので緊張感があります。稽古に飽きない。少なくとも私は。

 

今度、見学の方が来られたら、大石神影流から体験してもらおうと思います。

 

帰りの新幹線で、今度こそイメージトレーニングをと思いましたが、やはり構えをとるまえに新神戸でした。京都でなくてよかった。

 

                            平成26年3月15日