武学

大阪はPM2.5の影響でここ数日空がかすんでいます。心持ち、喉が痛いような気がしてきます。雨が降りそうだったので、今日は歩いて武道館に行きました。

 

今日は以前から見学を希望されていた方が来られていましたので、まず無双神伝英信流を抜いていきました。他流を修行されていたということで、所作や理合いの違いが大きかったようです。私は直伝英信流からの転向者で、やはり驚きが大きかったですが、私の場合は割とすんなり神伝英信流に移行できた気がします。まぁ、人によって異なるのでしょう。

 

大石神影流もさわりだけ、体験をしていただきました。

こちらも鼠蹊部を緩めて中段に構えるところから、これまでの動きと全く異なるためいろいろ工夫をされていました。

 

新しい武術を学ぶということは、それまで身に着けた技を一旦忘れる必要があります。理合いを詰めて考えていくことも大切かも知れませんが、まずは心をまっさらな状態にして、稽古を続けていくことを心掛けて頂きたいと思います。

 

武術を学ぶというのは、学問と同じだと思っています。

まずは先人の行いを学ぶ(まねぶ)ことから始めます。誰の言葉であったか忘れましたが、学問をするとは、過去の巨人の肩にのって、遥か地平を眺めること。自分一人では眺められない景色も過去の偉人達の業績の上に立てば、一望できる。そのためには、まず過去の偉人達のまねから(つまり書物を理解するところから)始めなければならない。という内容でした。

これは学問について、虚心に先人の行いをまずは理解することの重要性を説いた言葉ですが、武術の場合も同じでしょう。先達の残してくれた形を通して、体の使い方、心の使い方を学ぶのです。自分の考えや行いを固持していては、まねることができません。武術は武学なのです。

武学という言葉、割と気に入った造語です。が、同じようなことを考える人はいるようで、武学という文字を冠した書籍も出ていますね。

 

さて、明日も稽古できるはずでしたが、家の都合ができました。明日の稽古はお休みとします。

 

                         平成26年3月1日