強為と云為

先週はインフルエンザ、先々週は出張のため、道場での稽古は3週間ぶりになりました。今日は暖かい一日で、夜の稽古でしたが汗をかきました。

 

さて、今日のテーマは強為と云為です。”ごうい”と”うんい”と読みます。道元禅師の言葉で、藤田一照さんという曹洞宗のお坊さんが書かれた『現代坐禅講義』という本で知りました。強為というのは意志的・意図的に無理矢理強引に行うこと、云為は思慮分別を離れて自ずから発動してくる自然な行いのこと。

私は参禅経験も少しあって、こんな本も読んだりするのです。

 

居合の世界でも、この強為と云為は使えますね。もちろん云為を目指さないといけません。でも、目指してしまうとそれは意図的な強為になってしまいます。この点は『現代坐禅講義』の中でも繰り返し注意をされています。「~しない努力」と言われています。坐禅のお坊さんですから、坐相にすべてをまかせて、静かに坐相を維持することだけに集中し、無理な力をかけない、体の内部の働きをしずかに受け止める…ということが重要であると言われてます。

 

居合の場合は、優れた形があります。坐禅の坐相に当たりますね。この形を信じて無理無駄をせず、自分のおこない(強為)を排除していけば、刀がおのずから働く(云為)ということでしょう。居合の場合は、坐っているだけの坐禅と違って動きが必要ですので、意図的にならざるを得ません。でも、その意図を実現するためには、刀に働いてもらわねばならず、刀に有効に働いてもらうためには、体が自由に動かねばならず、体を自由に働かせるためには力を滞らせてはいけないのです。ここが強為から云為への変換をしなければならない局面です。

 

名人達人が無心の動きをするというのは、強為を極端に少なくして云為で動けるようになったということのように思います。

 

なんだか難しい話になってしまいました。

要するに、頑張らないで楽に動きましょうということなのです。

で、今日は楽に動こうと心掛けて稽古しました。

単純な私は、なかなかよい動きができたように感じているのです。

 

                    2014年2月2日