2013年12月

2013年12月28日(土)

今年最後の稽古を行いました。

広い道場に、太極拳を稽古されている方が一人いるだけです。

稽古前にゆっくり静坐をして、体と心を落ち着けることができました。

 

今日の稽古は大石神影流から行います。

いつも後に回してしまって、若干集中力が切れ気味なので。

試合口、陽之表、陽之裏をまず仕太刀から。柔らかく木刀を握り、斬撃をしますが、腕の裏側の筋肉を使うように気を付けます。つい下手な剣道の癖で体を固めがちになります。

続いて打太刀。いつも仕太刀ばかりで打太刀は苦手です。でも、打太刀を稽古するようになってから、仕太刀の遣い方が少し変わりました。打太刀の間や刃筋などを、より細かく意識することで、技につながりが出来てきたようです。

再度、仕太刀を稽古して大石神影流は終了です。ここまでで一時間。何度も動きを確認するようにしているので、あっという間でした。

 

居合刀に持ち替えて、大森流。足心に体重を落として、やんわり立ちます。そのまま体軸をまっすぐに下ろす気持ちで膝をつき、正坐。これが出来るようになるまで大変でした。まだ十分ではないですが、坐った後は非常に落ち着いた楽な状態になれます。坐姿勢だけ考えていましたが、やんわり立つこと、静かに膝をつくこと。これらができないと上手く坐ることができません。

無駄な力を入れないように、しずかに動きます。しずかにゆっくり動けば、自分の体のどこに力みがあるのか分かるようになってきました。

抜き付けでは、刀の動きを待てるようになってきました。師匠に私の抜き付けの悪いところを発見してもらって以来、どんどん楽に抜き付けが出来るようになりました。抜き付けをしているという感覚もあまりなく、鞘から外れた刀が自然に前へ振られているような、妙な感覚です。果たしてこれでいいのか?不安がよぎります。

指導どおりに遣っているつもりですが、自分の癖が出てまた妙な動きをしているかもしれません。近々また参上して手直しを受けねばなりません。

 

抜き付けで刀を待つことができるようになると、いろんな技が影響を受けます。これまでも苦手だった技が出来るようになった…とは言いません。理合いが分かるようになった、と言い換えましょう。しずかに刀が動くのを見ているという感覚。刀の動きを邪魔しないように、体の力を取っていく。そんな稽古になりました。何度抜いても面白い。稽古に没頭してしまいます。

大森流、英信流表、太刀打、詰合をひたすら繰り返します。

で、あっという間に二時間が経ちました。

 

今日は嫁さんが仕事なので、私が夕食を作らねば、我が家のチビどもが腹を空かせます。まだまだ稽古をやりたいのですが、ここらで終わりにしましょう。

 

本年最後は、やはり横雲で締めました。

 

刀礼です。我が愛刀の三尺の居合刀に一年間の感謝を致します。

上座への礼。師匠はじめ兄弟子諸兄には様々な教えを受けました。ありがとうございました。大変充実したよい一年を過ごすことができました。来年もよろしくお願い致します。長々と礼をしてしまいましたが、これで今年の稽古納めといたします。

 

 

2013年12月22日(日)

今日は見学の方が来られたので、時間を変えて午後からの稽古としました。

武術は初めての方でしたので、礼法から始め、歩法、斬撃、鞘付木刀での抜刀と納刀を体験して頂きました。力を抜くということの難しさを感じてもらえたと思います。

まずは力を抜いて坐る稽古からになります。続けて稽古ができればいいのですが。

 

これまで、何人か見学に来られましたが、実際に体験してもらったのは今回が初めてです。体を使うことの難しさを体感して頂きましたが、私はわたしで、指導することの難しさを感じていました。結局のところ、いつも私が師匠や兄弟子に指導して頂いていることを指導するだけなのです。ああ、こういう気持ちで指導されていたのだなぁと妙に納得してしまいました。指導することもまた修行です。

 

大森流と英信流表、太刀打、詰合を見ていただきました。妙な感じです。普段のように体が動きません。緊張しているのでもないのです。おそらく手本を見せようと気負っているのでしょうね。それなりの動きはできましたが、心と体がちぐはぐで注意が散漫している気がします。良い動きを見せようと色気を出すなんて、まだまだ駄目だな、こりゃ。

 

一通りの形の見学と体験をしてもらって、あとはご自分で稽古を続けるか考えてもらうことにして。

今度は一人で稽古です。先ほどまでの反省をこめて、最初から稽古のやり直し。

ゆっくり大森流を抜いていきます。

刀が動き出すまで待つように心掛けます。抜き付けが少しずつ良くなってきたと思います。原理が分かると他の技も影響を受けるようです。次回はそのあたりを師匠に見てもらいたいので、もっと稽古を積まねばなりません。師匠の教えに対して自問自答の繰り返し。その結果をまた見てもらう。この方法しか私の上達の道はありません。

教えを素直に受け取ること、その教えを体現できるように自分の体と相談すること。

これって今はやり?の自己開発じゃない?と思ったりするのです。

 

英信流表、太刀打、詰合まで稽古をして今日は終わり。

あれ、大石神影流の稽古をしていない…。これは困った。時間配分が本当に難しくなってきました。

 

 

2013年12月15日(日)

霧雨がふる寒い中ではありましたが、昨日の稽古の復習をするために自転車を漕いで道場へ行きました。今日はいつもより多くの人がそれぞれ稽古していました。私を含めて6名です。初めて見る人には異様な光景でしょうねぇ。黙々とばらばらに刀を振っているのですから。

 

さて、初発刀と横雲中心に稽古を始めました。まわりではピュンピュン音が聞こえますが、私はそっと動きます。鞘手、柄手を気にしながら、臍下に意識をおいて感覚を大切に、抜いていきました。刀がめぐって動くのが分かりました。刀が遠く走りました。そのあとの斬撃、血振り、納刀も鼠蹊部の緩みを感じながら行いました。

横雲も同様です。なんとなく、気持ちいい。

 

そのままの感覚で、大森流、英信流表、太刀打、詰合の稽古を行いました。

刀の重さを感じながら稽古をすることができました。たぶん、これが大切なことなのだと思います。今まで刀の重さなど気にしたこともありません。初めて三尺の刀を手にしたときには、その長さと重さに苦心したこともありましたが。

苦手な太刀打の請入も、刀が廻ってくるのを待つのだと分かりました。今まで自分で振り回していたのですねぇ。刃筋が合わないはずです。

 

面白くなって、大石神影流の試合口、陽之表、陽之裏も続けて行いました。木刀の重さを感じれるようにそっと刀を持ちます。いつもと違った動きになった…気がします。なかなか新鮮な感覚です。

 

またまた英信流表を。と、ここで左膝に刺すような痛みが。まずいです。残念ですが大森流に切り替えて稽古を続けようとすると、今度は右膝がガクンと落ちました。稽古のし過ぎでしょうか。ちょっと早いですが、今日はここで終わりにします。

 

 

 

2013年12月14日(土)

本部の稽古に行きました。といっても柔術の稽古の横で居合の稽古をさせて頂いたのですが。午後2時から5時までの三時間、みっちり稽古をすることができました。師匠にもすぐに指導して頂けます。

 

今日はかねてより課題であった”抜き付け”について何とか手がかりが欲しいと思って稽古に臨みました。初発刀と横雲ばかりを稽古します。

 

着座、鞘に手を掛ける、刀に手を掛ける…すべての動作に細かく指導を頂きました。しずかに動かないと体の微妙な動きを感じることが出来ません。そっと動くようにするのですが、それでも何かに捕らわれると肩や、背中、肘と力が入ってしまいます。さすがに何度も指摘されているので、肩や背中などに力が入ったというのは自分で分かるようになりましたが、今日は手首に力が入っていると言われました。なるほど手首が曲がっています。抜き付けの時の鞘手です。こんなところまで力を入れているのかと愕然としました。気になって帰宅してから、雑誌や本に出てくる人たちの鞘手を見てみました。大半の人が手首を曲げています。

 

さて、私の一番の課題は二段階抜きです。「抜き」と「斬り」が二段階になっているというご指摘ですが、もちろん私はそんなことをしているつもりはまったくありません。また、そのときに肩で切ろうとしているということです。たしかに右肩が前に出ています。何とか肚主動でと思いますが、なかなか出来ません。

繰り返し、初発刀、横雲を抜きます。

何度も何度も抜いてついに、根本的な問題を発見しました。…師匠が。

体が開いたあと、鞘から離れた切っ先が振られて十分に前へ出るより早く、右手で刀を振ろうとしていたのです。ですので、きっと上空から私の刀の軌跡を見ると相手に切っ先が届く前に横移動を開始してしまい、まったく切れていないことになるはずです。

「刀を早く振ろうと右手を動かすよりも、体を動かさずに鞘離れをした刀が自然と振られていくほうが早く遠くを斬ることができる」というご指導でした。素晴らしい言葉だと思います。

このご指導を頂いたときに、ゾクゾクっとしました。体全体で得心したという感覚と、武術の奥深さを改めて知った感動であったと思います。

自分では力を入れて振っていないつもりでしたが、刀の動きを感じることができていなかったということは、やはり力を入れていたのです。もっと刀を感じることが必要です。先日の講習会では兄弟子に鞘先まで感じることができるようにとも言われています。

 

ようやく’’抜き付け”の手がかりを得ることができました。師の前で稽古をすることの大切さと有難さを痛感しつつ、今後の稽古に取り組みます。

 

いやぁ、居合って本当に玄妙なものです。楽しいですね。

 

 

 

2013年12月8日(日)

昨日は稽古がしたかったのですが、会社の行事があって武道館の空いている時間に間に合いませんでした。

 

で、今日は待ちに待った稽古日です。先日の本部の特別稽古で師範から指導を受けたこと、居合講習会で兄弟子から教えていただいたことをノートを見ながら思いだし、準備万端稽古に取り掛かりました。

ひろい道場に私だけ。しかも少し暖房が入っているので、環境は申し分ありません。

いつもはあまり時間をとらない黙想を少しゆっくり行いました。呼吸と臍下に意識を置いて、全体の力を抜くことを心掛けます。

 

まず大森流。臍下に意識をおいて、ゆっくり動きます。抜き付けは、相変わらずのように思いますが、臍下に意識をおいて開くイメージを心掛けるようにします。また、振りかぶりでは、兄弟子から意識が途切れていると注意されています。やっぱり臍下を意識しながら剣先まで意識がつながっているイメージを持つようにします。斬撃では師匠から臍下中心での斬撃になっていないと指摘されました。ここでも臍下中心で「打つ」のではなく「斬る」ように。初発刀だけで、どれだけ多くの指摘事項があるのでしょう。

居合講習会で得た一番の収穫は、体が基本であるということです。刀を持つから、刀を扱おうとして体が疎かになるようです。とくに現代剣道に染まっている私は何とか手でこねくり回して刀を振ろうとします。そうではないのだということが、先日の講習会で分かりました。いえ、師匠からは毎度毎度そう言われていたのですが、私は師匠の言葉を聞いていても、その意味をよく分かっていなかったのです。オロカナ弟子であります。やはり、素直で師匠の言葉をよく吟味することが弟子として上達の早道であるのです。私はオロカナほど素直ではありますが、吟味が不十分でありました。それって馬鹿ってことじゃない?などと自分を卑下するようなことは思わない、思わない。

 

まず、体が基本です。臍下に意識が収まって、体がゆるんで動くにつれ、刀は自由に動き出す。これが居合の動きなのでしょう。

心と体の練度をあげるため、安易な体の操作方法では抜けないくらいの長い刀を用いるのが、無双神伝英信流の稽古法なのだと思います。

私は体のゆるみが足りません。だから横雲が抜けない。今日も何度か横雲を抜こうとしましたが、抜けませんでした。またまた楽しみができました。どのように横雲を抜くのでしょう。うーん。ムズカシイ。

 

せっかく教えていただいた太刀打と詰合を何度も稽古しました。一人で稽古するとそれなりに…と思えてしまうところが実に浅はかです。でも。でも、講習会でしつこく指導された甲斐があって、臍下で動ける瞬間が増えた…ように思っているのですが。

 

稽古の方法を考えなければなりません。大森流、英信流表、太刀打、詰合、大石神影流の試合口、陽之表、陽之裏をそれぞれ打太刀、仕太刀の双方を行うと、あっという間に2時間が過ぎます。三学円之太刀は、うろ覚えで出来ませんでした。やはり特別稽古は一杯一杯でした。それでも2時間です。週一回の稽古では足りない。家でも短い木刀で稽古をしますが、やはり道場で稽古を積みたいからなぁ。

サラリーマンの悲哀?という奴でしょうか。

 

締めくくりは初発刀と抜けない横雲でした。